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男の王の政治期間を比喩したのが天岩戸伝承だったらと思うと得も言われぬ好奇心で震えます。
おお!!それは、、、ピッタリですね!! 、、、考えたことなかった、、、!!
しからば 手力男が岩をどけてでてきたのは 卑弥呼の跡継ぎ トヨ ということに?!
やはり神話は弥生時代だったのか
当時はヒメヒコ制をとっていたから、巫女である女性を恭しくしていた王の姿を見て日本の統治制度や言葉がよくわからなかった魏の使者が、女性の側が王だと思ったのかも知れないよ
岩戸の前で踊っていたのは再度降臨されたまえの儀式、ってことでしょうかなるほど
卑弥呼がひどい当て字という見解が出ていますが、倭国もそうですし、邪馬台国もそうですから、魏からみれば見下すのが普通であったと思われます。あとで当て字のひどさに気が付いたので日本を名乗るようになったのは自然ですから ひどい当て字はむしろ貴説の正しさを補強しているように思います。
中華思想のせいかシナは他の国を酷い当て字をしがちですね
モンゴルが蒙古という当て字に怒っていて、日本で蒙古(ボケッとしてて古いという意味になる)という当て字を使わないでくれと申し入れたことがあります。だから、今はモンゴル国については蒙古と言わずにモンゴルと書くようになってます。
朝鮮も貢物がしょぼいって意味になるって聞いたけど、本当なのかなぁ?魏の時代から他国を見下す癖があるってのは、ある意味今でも受け継いでそうで大陸だから他国と領土問題で、気を緩ませると攻め入られるって事もあるだろうけどだからと言って、相手に敬意を示さないで小馬鹿にするってのは小物感が漂ってますね。日本はいろいろな文化を吸収したとは言え、悪いところはバッサリと切り捨ててる所が本当に良かった。ただ農耕や稲作は治水技術がそれ程発展してないから、日本が教わったってよりは日本が伝えた説の方がしっくり来ると思うし、水が豊富でないと向いてない作物だよね。だから米だけが主食ではなく、小麦料理も沢山あるんだろうねぇ逆に日本ではあまり麦が流行らなかったのは、水分が多すぎる土壌や気候のせいかな??
@@sたもつ 私見ですが稲作は水田を使うので連作障害が出にくい作物で収穫量も多いので麦より多く作られたのではないですかね、欧州だと緯度が高いし水が貴重なので麦やジャガイモが主食になったのかと思います
南蛮も中国語ですねー南の蛮族よその国と認識してる場所は基本的に卑下して書く文化のようです
昔、中国の学者が「当時の読み方では卑弥呼は”ヒミカ”と読んでいたと日本の学者に言ったが、相手にしてもらえなかった」と言っていたという話を聞いたことがあるな
‘ヒ’は朝日のことを指し、‘ミカ’は「向」つまり‘ムカウ’だと思います。日と向で日向(宮崎)になります。九州から水平線に朝日が昇るのが見える所と言えば、宮崎です。‘ヒミカ’が訛ると‘ヒムカ’。更に訛ると‘ヒウカ’とか‘ヒュウガ’となり、現代発音です。‘ヒミカ’の訛りが‘ヒミコ’であるのは、偶然でしょうか?私には判りませんが…。 ところで最近、気が付いたのですが、‘イザナギ’と‘イザナミ’から‘イザ’を取れば、‘ナギ(凪)’と‘ナミ(波)’になります。そう、現代日本語です。これは偶然ではないような気がします。
@@tangeribun3371 なんでイザ取ったの?
私は専門家ではありませんが、単なる思いつきや言葉遊びから始めてもいいと思います。音韻論(言葉の訛りの研究)は言語学の重要な分野であり、それで得られたアイデアを専門研究の方が、更に発展させていただければ、幸いです。
@@ジャパンファースト さん、ご教示ありがとうございます。参考にさせていただきます。
卑弥呼が日巫女であるためには、古代日本語で発音した日巫女の音と古代中国語での卑弥呼の読み方が一致していなければなりませんが、少なくともその音は現在の読みである「ひみこ」ではなかったはず。
呼は絶対にコとは読みません。ヲです。
その通りです。しかも音の発音は、地方や時代によってもバラバラですからね。
当時の中国語ならピミカですね😊
「卑弥呼」の当て字が酷いから実際には「姫巫女」「日巫女」「火巫女」辺りで当時の日本では呼ばれていたのかな?とは思っていましたね魏志倭人伝に「卑弥呼は大きな墓(古墳?)に埋葬された」みたいな記述もあったと思うので、個人的には皇室の女性で巫女を兼任していた説を推したいです
合同墓地だったのかも?
箸墓古墳が卑弥呼の墓って言われてるんだよね。
そのころの中国って海外の名前なんでも酷くつけてたよ
@@asdfasdf5776 直径100歩余りの大きな墳墓で、殉葬した奴婢が100名余りと書いてあるので、合同墓地ではないでしょう。
すごく面白かったです。他の動画はちょいちょい見ていたのですが、やはり興味深いものばかりです。他の動画を見て、次の投稿を待ってます‼️
歴史に登場する女性って、名前じゃないこと(清少納言、紫式部など)あるから、「ひみこ」が役職名って可能性ありますね。
ですよね! ご推察の通り、卑弥呼は日の巫女(役職名)と考えるほうが自然ですな
日巫女 天皇の皇女(斎王)
卑弥呼が天皇家とか大和のひとならなんで記紀に出てこないんだろう?神功天皇に当てはめることはできないだろうし、普通に九州の人なのでは
でもそれだと邪馬台国(ヤマト)が説明つかないね
@@kanata9726 さんへ ひとつの意見としては、ありますね
トヨは妹とは書かれていないと思いますが。記紀では一族の女性を巫女と指名していることが書かれています。
自分も卑弥呼は日巫女というのは昔から思っていた。この動画で自分のぼやーっとした考えをズバっと解説したくれたのは本当にうれしい。
古代だと「ヒメ(ヒミ)」は女性首長を指して「コ」は高貴な人物に付ける尊称だから女王様みたいな意味で特定の人物名では無いんだよね
感謝感謝です。同様の考えを50年前から持っていましたが学術的に全て理解でき腑に落ちました。卑弥呼・日巫女と同様の古代宗教形態が現在の沖縄県に残されています。戦争や殺し合いで最高権力者を選ばずに話し合いで最高権力者を決める制度は辺境地の未開の制度だとしても、魏志倭人伝の著者にはある種の希望も存在したと推測できます。未来においても人類の平和を構築できるシステムで日本が世界に誇れる歴史だと思います。
卑弥呼が日の巫女と言う仮説はとても興味深いですね。伊勢神宮の斎王などがそれに当たるものでしょうか。年代考証が正しければ、邪馬台国が九州か機内かで神武東征の内容が変わってくる気がします。とても面白い内容でした。
『卑弥呼』だの『邪馬台国』だの『卑』や『邪』と魏の人間は余程日本を見下したかったんだろうな
邪魔大王国、死ねぇ!という声が脳内に聞こえてきました。鋼鉄ジーグ🤣
日本の中でだって熊襲とか蝦夷とか地方人を見下してるやん。
@@AA-jj1bc まぁどこのヒトもマウント取りたがるのは世の倣いかと
@@やしろかいと 実際当時のちうごくもヤマト朝廷も周辺民族と比べれば彼らを蛮族と見下すくらいには進んでたからな。差別なんて概念の無い時代、現代の俺たちがアマゾンの未開部族を見るくらいのものだったのだろうし、責める気にはなれない。
古代中国語の発音だと「卑弥呼」=「ひめか」、「邪馬台」=「やまだ(と)」が近いらしい。
中国のある権威によると、魏では「ピエミエハー」と発音されていたそうな。
筑豊では烏尾峠にあったと言う話があります。その側に山田市が在ります。昔の天皇で良いのかな?落延び、隠れ里に山田~赤村~行橋~北九州と落ち延びそこが部落になったと言う話があります。だから九州の部落には古い名字の人が多いそうです。タンカー事故で壇ノ浦の海流は何処に流れているか判りますよね?奈良~京都自然に繋がりますよ!
@@諌山満伸 烏尾峠といえば、山田市(現嘉麻市)の北の田川から京都(みゃこ)郡へ入るルートにも繋がっていますね。古代から筑州と豊州を繋ぐ九州北部の最重要ルートにあり、京都郡はかつて景行天皇親征の際行宮(臨時宮殿)が置かれ豊前国府も置かれ、近代においても筑豊産石炭の輸送が行われたとか。邪馬台国がどこにあったかは論じませんが、当時から有名なポイントであったと言えないことはないでしょう。
宮崎神宮から遣わされた「ひむか」様って可能性もありますね。これだと神武天皇が先という事になりますが
@@golpie はい、自分は子供の時天皇政権争いで負けた物が今の赤村や他の部落をつくり北九州から日本海を渡り福井から奈良へ流れて行った。ってオヤジが医師で部落などでも関係無く往診してたので地の爺ちゃん婆ちゃんに聞かされた事が未だに残ってます。自分達は古くから名字を持ってることを言ってましたね?意味はわかりませんでしたが(笑)
卑弥呼が日の巫女だというのは高田崇史さん井沢元彦さん含めてけっこう普通に散見されますけどね
勉強になりました、、次の動画も楽しみに待ってますね👍👍
とても面白い考察だけれど今の発音を基軸に考えてるのが引っかかる今の日本語も当時の日本語とは違うし、漢字の音読みだって当時の中国語の発音をそのまま残してはいない訳だからそこを単純に比較したら誤った結論が出てしまいそう
全く同意できる素晴らしい解釈だ。全国的に卑弥呼神社がどこにも無いことから「卑弥呼」はいなかったと考える学者もいる。「邪馬臺国・邪馬台国」も「やまとこく」とも読める。
ヒミコ→イヨの代替りが天岩戸の部分ではと考えています。天照大神がお隠れになる(ヒミコが亡くなる)→みんなで大騒ぎ(次代をめぐり戦乱が起こる)→天照大神が出てくる(イヨがヒミコになる)同じことは何度もあったのでしょうから、ピンポイントにここを指しているかはわからないですが
同感です。伊勢神宮の御祭神はアマテラスとトヨウケである事からも、お説の信憑性は高いと思います。
素晴らしい考察と思います。一番納得できました。この流れですと、邪馬台国も大和国が正しそうですね。
卑弥呼という名前ではなく「ヒミ(ヒメ)と呼ばれた」という説を聞いてなるほどと思ったけど、この動画見たら日巫女の方が納得できる笑
邪馬台国の卑弥呼についてのお話!!通説とは全然違う感じになってます!
いやいや、様々な皆さんのご意見、聞いているだけで楽しいですな、なかなか(これが正解)とはならない分野ですが、だからこそ想像力が掻き立てられて楽しいですな
@@まるじゅんいち なな!
へぇ!卑弥呼さんの職業は実際は巫女業だったのですね!其れは初耳ですよねぇ・・・。まあでも、部族の管理も行える能力も備わっていたのは事実無根でしょうけど、まさか天照大御神の守護神とは未だに信じ難いのですよね!そして占いも職業の一つで、政治運営もまさか有り得ないと思いますが、全て占術的に指揮していたのも充分に考えられますね!今回は此れ1本で二度美味しい勉強をさせて戴きました!適宜参考にさせて戴きたいと思います!
卑弥呼の名前の字については自分も以前から疑問に感じていましたが成る程って思いましたおそらくは匈奴なんかと同じ感覚なんでしょうねそれに呪術や祈祷で国を統べるってのも黄巾の乱をおこした張角とかを連想させたかもしれないですね。
上代日本語や古代の江南地域の発音で、「日」と「火」は違う音だったという研究書を読んだ記憶があります。その研究によると卑弥呼の「卑」「ひ」の発音は、当時の「火」の方にあたるとのことでした。その研究に従った上で卑弥呼を役職として捉えるならば火の巫女と考えた方が自然かもしれません。だからといって、日と火も語原的に全くの別という訳でもないようで、火の巫女を経て日の巫女になっていったとも考えられます。
面白いです!ただちょっと思ったんですが日巫女(ひみこ)の説って「日本の音読みが古代中国語の発音を正統に受け継いでる」っていう前提にあると思うんですよね。例えば習近平(日音読み:しゅうきんぺい)って向こうでは”しーじんぴん”って呼ばれてますよね。こんな感じで卑弥呼の古代中国語発音はもしかしたらもっと違うのかもしれませんね。
卑弥呼は現在の中国語発音だとピンミンフーって感じ。"フー"のフはフルシチョフとかの発音と同じで、kの音が混じってる、khuって感じの発音。古代中国語は知らない。ーーーーーーー日本のはひふへほって、昔はパピプペポと発音していた時期があるらしい。で、日本の中での発音の変化って同じだと思うの。つまり、ピ→ヒの変化はヒミコだろうが日の巫女だろうが等しく訪れるはず。そして、現在の中国語発音で卑はピンだけど、昔の日本語のピって発音を聞き取って卑としたはず。弥と呼も同様。音が似てるし日巫女という解釈は遠く外れてはない気がする。どうかね?
興味深い内容で次回も楽しみです卑弥呼が何人も居た可能性もあるなら・・・
彼処は他の部族とかは蔑んだ文字を充てるのがデフォ。穢族とかね
ヒミコはいっぱいいたからね。阿蘇の辺りには火巫女がいた。纏向の辺りには日巫女がいた。ヤマト王権では王子を皇子(みこ)で王女を妃皇子(ひみこ)って呼んでたよ。
ヤマト王権なんぞと言う出鱈目な用語を使う奴を信用できないな(^o^)
@@栄健 ヤマト王権って言葉は元竹田宮の子孫の竹田恒泰氏使ってつ言葉ですがね。
ふむふむ😀そうなのかって興味惹かれて✨楽しく視聴させていただいてます
トヨ(イヨ)も日本史にはいませんが、国名では残っています。なので人物名ではなく出身国の姫という認識を自分は持っています。「卑弥呼」も出身国の名称ではないでしょうか。卑弥呼は日向の国の姫なのだと考えます。
豊後水道を挟んでトヨの国とイヨの国があるな
@@Hayato_Takezawa 殿ホントですねトヨの国→大分イヨの国→愛媛なんか繋がりが有るのでしょうかね? そして トヨの国の前と後 豊前と豊後別府湾に有ったと言われる瓜生島も何か関係してくるかも知れませんね
トヨの国 大分~北九州市ツクシの国 福岡市~県南部ヒの国 佐賀長崎~熊本ヒムカの国 宮崎(薩摩・大隅がいつ頃からそう呼ばれたのかは知らん)九州本島の昔の呼び名がツクシの島だったことから中心地は博多の辺りという認識がされていたのか?ちなみに四国本島の呼び名はイヨノフタナなため、中心地は愛媛県当たりだったと考える
豊鍬入姫命とか、女性にトヨの言葉が入るのは珍しくないからヒミコの方はヒメミコが訛ったものだが、トヨは本名から来ているのではないかとの説が有力だそれに古代では本名(普段から用いられていた名前という意味で)を呼ぶのは貴人や死者避ける事が多かったからな本名は伝わらない事が多かったようだ三世紀四世紀にこのような風習があったかどうか、よくわからないが。とにかく一概に本名でトヨとかイヨとかいなかったとは言えないのではないかとも思うが
@@Hayato_Takezawa 古代史で筑紫七カ国は筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後に日向国とされておりましたね❗️ 卑弥呼は歴史家陳寿による日向の当字と思量致します🙏
よく知らんけど日本語における巫女(みこ)って読み方は古代より後で成立したイメージ。あと卑弥呼(ひみこ)って読み方、漢音と訓音がごっちゃだよね。
大和国の姫御子を卑弥呼って当て字にしてると思うんよな
明治天皇の玄孫の竹田さんもその説ですね。
となりますとミコという言葉が謎になります。なぜならこの人物が巫女ならば、態々ヒメ(女)という接頭語をつけて称される理由がわからなくなるからです。ミコの語源を単純に若い貴人の尊称とするならば、ヒミコの弟王が何とかミコと呼ばれていないのは不思議になります。倭人伝が省略しただけかもしれませんが。もしここから話を進めていくならば、ミコの語源は神気を現し神意を示す巫という神職の一般名、あるいは祭祀の有資格者名だった可能性が出てきて、ヒミコとは女の神職を意味する言葉、という論になるでしょうか・・・では古に(権威ある)男の神職はいなかったのでしょうか? 伝統的感覚からするとこの説は破綻している感がありますね。
太陽の巫女でヒミコ…という呼び名を当て字にして卑弥呼…ゲームのやりすぎか。というかよくよく考えると邪馬台国もそうだが漢字の意味が悪辣過ぎないかなと感じる。【よこしま】だとか【いやしい】だとか……そもそもその時代に漢字が日本にあって、自らその漢字で名乗ったのか?だとしたらどんな意味を込めて…
卑弥呼の卑は卑しいから来るそして弥呼は鬼道の巫女では?
@@田中しんじ-h9c オリジナルは「俾彌呼」。俾は傅(かしず)くという意味の字で、単純に「妖しげな呪術使いの婢(はしため)」という意味ではありません。倭の字も似たような意味で、別記しましたが、ニンベンがついてるだけ(話のわかる奴らという意味で)マシな待遇かと。支那が蛮夷の国や民族に対してつけるのは、だいたい現地語の当て字で、あからさまに悪字を使うことは多くありません。なにしろ外交単語ですから下手なことは言えません。従属国に対しては猶更です。こういう配慮を「礼儀」というのです。尤も彼らは絶賛抗争中の相手なら礼儀の箍を外して、悪意満々で字体を組み立て記し痛罵の限りを尽くす癖がありますけどもw。なお待遇(外交関係)から字体を変えられた例には琉求国がありまして、朝貢するようになった14世紀、王ヘンをつけられ「琉球」とされたとのこと。平身低頭、臣従するものに(外面上は)悪く扱わず、人一倍太っ腹なところをみせる大人(ターレン)文化が昔からちゃんと反映されているのです。
卑弥呼に絞ると分かりやすいと言うか面白いんですが。台与(壱与)は個人名ですかね?肩書ですかね?
日の巫女という台(役職)を与えられた人…ではないかと考察してます。
なるほどですねー😮
弥生以前に神武東征が行われ、天照大御神への信仰が始まったと考えていましたが、この解説の方がしっくり来ました。ありがとうございます。
卑弥呼様の事勉強になりました。
ひみこが役職名…かなりスッキリする
小学生の頃、初めて卑弥呼と聞いたとき、音的にふっつーに「ひのみこ」だと思ってたのでなんかうれしい。この当て字への違和感。。けっこう同じことを考えて人っているのでは??
面白い説ですなあ。興味わいてきちゃったぞ。
納得できる深い考察です。シリーズが楽しみです。
成る程、いつの時代もアマテラスと日巫女(卑弥呼)がいた。というのは、可能性としてかなりあると思われます。とても深い知識と考察で、他の動画も楽しみに拝見させてもらっています。
卑弥呼と魏志倭人伝📖に表記されている〜独立した王女👑のように思われる😅
「ひみこ」という音はあくまで現代まで残った当て字を現代日本語読みしたものであるので、本当になんて呼ばれていたのかは当て字を考えた魏の役人と同じ古代中国語の読みをしなければわかりませんね。ただし卑弥呼が巫女説というのには同意します。これは諸説ありますが、「ビミファ」がそれに相当するんじゃないかと言われており、当時の倭語と近しいとされる古代朝鮮語に当てはめてみると「ビ」が「日」「光」「蛇」などを表し、「ミファ」が「神」そのものを表す言葉であり、その名前が「太陽の(蛇)神」(おそらくは天照大神)そのものを指し示している可能性が高く、その代弁者をしていた巫女の言葉を「神さまのお言葉だ」とするのは仰る通り大いに有り得ることだからですね。これは推測だけどむしろこの「ミファ」が転じて「巫女」へとなって行ったんじゃないかな。「姫尊」変形説は今の日本語に音が寄りすぎてると思う
今でも伊勢神宮の斎王は天皇の娘ですね。そして伊勢神宮の内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が。外宮には先代を引継いだ豊(台与)さんが天照大神の世話役として祀られている。あくまでも斎王は斎王であり祀り役、政(まつりごと)は大王、今でもまったく変わってない。
斎王は南北朝時代に途絶えています。伊勢神宮祭主と混同しているのでしょうね。現在の祭主は、上皇陛下のご息女である黒田清子さんです。
三国時代の前の前の王朝、新の王莽ならば相手国に「卑」という字を平気で使っただろうな。彼は「高句麗」を「下句麗」に呼び変えるような人だったから。
聖徳太子が倭を和に変えたって話、仮にガセだったとしてもなんか好き。
そっから言うと聖徳太子の瞳が「青(緑の意味)かった」という伝説好き。
@@みよし三吉 地球は青かったも聖徳太子でしたっけ
@@TT-iu7bu 千何百年誤差ですね...
魏志倭人伝にある「一支」は壱岐、「末蘆」は松浦ですから。卑弥呼当て字説は確証高いでしょうね。
魏志倭人伝は中国で懸かれたものだから卑弥呼が当て字だとしたら日本語読みとなる「ひみこ」じゃなくて中国語読みしなきゃならないんじゃないか。
現代中国の発音は昔と違う。当時の発音な日本の訓読みにだけ残ってるって説もありますよー。
納得出来る話しでした。
井沢元彦さんのコメントは参考にされていますか?
全くしてないですね
面白かった。ヒミコが単なる役職名であって彼女自身は王でもなんでもないという考え方は目からウロコです。井沢さんは本名は隠されていたから日の巫女と呼ばれていたと考えて、女王であることは疑っていなかったし私もそう思ってました。
もし台与(とよ)が本名なら、なぜ卑弥呼は日巫女っていう役職名なんだろう?台与も役職名なら、何の役職なんだろうか。
そうだわ従って卑弥呼は実名の女王の名前😂役職名巫女さんではない〜
旧出雲王家の口伝によると、姫巫女(ひめみこ)のこと。魏志倭人伝に書かれてあるヒミコについては、宇佐王家の姫巫女とあります。
>旧出雲王家の口伝それはどこで読めるのですか?
前漢から後漢期の中国人は「 バハデゥル」と聴いて→「冒頓」の文字をあて、「チュン・チャック」と聴いて→「微側」の文字を当てる民族で、これらは日本語の発音では「ぼくとつ」「びそく」となるが、中国語での発音はそれとも異なる。さて、「卑弥呼」は本当に「ヒミコ」だろうか?
そういえばですが、邪馬台国(やまたいこく)なのに台与(とよ)なのが不思議でした。中国での”台”の漢字が違うとのことで、ヤマタイコクで正しいとなっているようですが、ヤマト国の日巫女と考えるのが確かにしっくりくる気がします。
日本書紀の神功皇后のくだりで魏志倭人伝が引用されていて卑弥呼の名が出ています。日本書紀を編纂した人は神功皇后と卑弥呼が関係あると考えていたのではないでしょうか。「卑」は単に音を移したにすぎず、古代中国人が異民族にきれいな字を使いたくなかっただけでしょう。日本や日本人を意味する「ワ」を古代中国人が「倭」(にんべんがついているだけまし)と書いたのと同じでしょう。当時の日本人が漢字を使えたら最初から「和」にしていたと思います。魏志倭人伝で転写された古代日本語は現代語でも結構類推が効きます。ヒナモリは「鄙(ひな)」を守るという意味の職名でしょうね。卑弥呼は「姫巫女」(ひめみこ)の意味だという話もよく聞きますね。天照大神を卑弥呼に比定するのは安本美典などが提唱しています。
魏志倭人伝に卑弥呼は夫せいなしと書かれているので神功皇后ではない。中国の歴史書にかかれて無視できない日本書記記述者は天武天皇の系統ではないので苦心?
魏の国での卑弥呼の呼び方を考えないと。それから古代日本語の読み方も。それによると、魏ではピィー・ミィー・クォァー古代日本語ではピィー・ミィー・ホーだそうです。日巫女と充てず、卑弥呼したことが正しかったであろう発音だと言うことです。日巫女が魏の言葉でどう発したか分かりません。ですが、卑しいと言う字を充てたことは朝貢する中国以外の国に対して充てる文字としては、当時の中国の考え方に合致していて、ちょうどよかったものと考えられる。
卑弥呼が当字なのは当然なのですが、当時は卑の字は単に格下の意味合いでそれ程悪い意味は無かったようで、卑を表音とする字で俾脾鵯があるように表音によく使われた字だったと思います。天照大神は、元は男性神アマテルだったとも言われてます。実際にそれで祀られている神社もあります。おそらく日向や伊予は卑弥呼と壱与と関係があるのでしょうが、巫女という言葉自体も卑弥呼から来ている可能性もありますね。
「卑弥呼」だけでなく、なぜ「大和」を「ヤマト」と読むのか?「飛鳥」を「アスカ」と読むのか? 調べると、なかなか興味深いことがたくさん出てきますね。。
日ペンの美子ちゃん、略してヒミコちゃん(昭和世代限定ネタ)
伊勢神宮では八咫鏡が御神体で昔は天皇の娘が日の巫女として住んでいて毎日祈りを捧げてた。
神武東征は西暦150年よりも前ですよ。神武一行が浪速津に船で上陸し、そのまま船で河内湾を東に生駒山地の麓まで進むことができるのはこの頃まで。それ以降は淡水化して河内湖となり、外洋を走る船では入っていくことができなくなる。淡水化した時期が分かるのは、今の十三あたりの貝の化石の種類がその頃に海水性のものと淡水性のものが入れ替わるから。
とてもわかり易く解説していただき、ありがとうございます。卑弥呼は、女王ではなく巫女であった。こう考えると、確かにいろいろな事が納得出来ます。
卑弥弓呼に関しても触れてほしかった。卑弥呼=日巫女説において、自分はここでつまづいてる。単に女王国と狗奴国の言葉の訛りの差が当て字になってるだけでどちらも同じもの、という理屈しか現状思い浮かばないでいるところだったので
和訳した場合、女王はヒメミコだけど狗奴国は男王だからヒコミコなんじゃないですか?今ある倭人伝は卑弥呼の時代より900年も後に写された写本だから、卑弓弥呼を卑弥弓呼と誤写した可能性あり。臺を壹だと誤写したように。
不思議なんですが、台与を「とよ」と読むのに、なぜ邪馬台国を「やまとこく」と読まないのだろう。。。
卑弥呼が倭の統治者ではなかったとしたら倭の使者が魏でその存在を統治者よりも強調する理由がない
貴人男性に使われる彦は日子であり、女性の姫は日女が元になっているそうですからもしかすると卑弥呼は日御子、日神子で男性だった可能性もありますね
『後漢書』や『三国史紀』に女王卑弥呼と書かれているので否定的
卑弥呼が日巫女という考え方は理解できるのですが、女王でないなら死んだ後大きな墓を作り殉死を100人も・・・つじつまが合わないような気がします。
個人的に結構納得できる考察だと思いました名前という概念が現代と違うと思っていて今は名前=アイデンティティ、個人そのもの、だけど古代はどこの人、どこの家系、役職、みたいな、履歴書的な扱いだったのかなと思いますその名残が現代の苗字ではないでしょうかで。本当の名前は別にあるのではないのか、という仮説を考えています本当の名は呪いをかけたりするときに使うなど、知られると危険なものらしいので中国の字などは呪術対策の側面もあったのかな、と日本古代の認識は中国と共通のものも多く、ということは卑弥呼、イワレビノミコトなどは履歴書的な、説明を兼ねての呼び名で名前は別、もしくは現代の名前に相当する概念自体がない、ということも含めあり得るかな、と思っていますトヨも富与など、安定して農業生産豊かになるようにしたなどの説明でそう呼んだ可能性も考えていますトヨが女性につけられるケースがあるのは子孫繁栄の意味、卑弥呼継承者にあやかって、、、などしかし、女性がトップに立って治めた国というのは何ともめずらしいというか、ロマンを感じますねぇ
邪馬台国がなんでやまたいこくなんでしょうか。魏志倭人伝での字で日本読みだったらヤマト国じゃないか?こんな簡単なことなんでだれも言わないのか?
ジャマな大国(笑)
①そもそも魏志倭人伝には邪馬台国という国は出てこない。②「台」という漢字は音読みでは「ト」とは読まない。「ダイ」。
原文には台と言う漢字でない。誰が台として意訳したんだという話です。
@@Y爺 原文は「臺」ですね。読みは「ダイ」または」「タイ」ですので「ヤマト」にはなりません。
すみません。原文は「壱」です。改定原文が「臺」です
卑弥呼→姫巫女だと思ってました。確かに、日巫女の方がしっくりきます。
卑弥呼=日巫女だとして、敵対する熊襲の男王・卑弥弓呼(ひみここ)はどう説明するの? 男ですよ。
とにかく考察がおもしろい
卑弥呼が日巫女で代替りで所在地が巫女事代わってたら邪馬台国は本当に場所バラバラだね
卑弥呼よりも先に登場する帥升も気になる
面白かったです。
ヒミコに卑を当てはめられたのは、巫女が当時どうやってお告げを得ていたかであり、それが使者から見て卑しい行為だったから、とか(割と真面目)
なるほど、面白!!✨
『上官の命令は天皇の命令である』というのと同じだな。責任はすべて天皇にあるということにして、自分には責任はないという言い訳にも利用できる。当時はヒミコは『ピミコ』と発音していたらしい。
「卑弥呼の名前の意味は、いやしいいやしいと呼ぶこと」だと歴史の先生が言っていました、なぜ卑しい?と不思議に思っていました。当て字ならより自然にかんじますね。
まず、魏志倭人伝にしか出ないのならなんで卑弥呼は(ひみこ)と日本語読みなのかがよくわからんw魏志倭人伝に書いてあったという事は魏読みをしないとおかしいと思うよ。そもそも日本人が書いたものじゃなくて魏人が書いたものだからね。今の中国読みなら(ぴめは)つまり単に「姫」と言った後に望郷のため息でもついたら、それを意味が合うように漢字を当てたとも考えられると思うけど。当時の魏(曹家の国)で「卑弥呼」ってどう読んだのかは知りたいね。
日巫女・日御子・姫皇女論者のそもそものツッコミどころそこよな単純に現在の中国語的発音だとしてペィミィフゥだからな
魏側から見て、卑弥呼は黄巾の乱の張角を彷彿させて、嫌悪感が出たのかもなぁ。
シンプルに姫巫女なんじゃ・・そもそも東夷の国なんだし卑を入れても不思議じゃない
ものすごく納得のいく説。
天気の記述は残っても、天気予報は歴史に残らない、みたいな
火の鳥では卑弥呼のことを「ひめみこ様〜」と民衆が敬っているシーンがありますね。
鏡の使い方ですが、保有枚数が多い方が権威があり地位が高かったとされています。複数の鏡で太陽光を反射させ一定の場所に投射したらどうなるでしょうか。太陽が再現される様に見えるはずです。下手をすると枚数によっては発火するかもしれません。太陽光を支配して再現できると言うパワーが大きな信仰の源泉だったのではないでしょうか。だから鏡が三種の神器の一つであるのでは。自らを写すものではなく太陽を反射する道具だったと言う可能性はないでしょうか。
卑弥呼ってピメコになるよね当時の読み方にすると藤原はプンティパラになるし、面白いw
プンティパラ道長芸人にいそう(((
「卑弥呼」を「ひみこ」と発音しているのは今の日本語での話であって、古代中国では「ぴみか」と発音していたと言われたりしているが、それならばどう解釈するのだろう。なお、「卑」は地位が低いという意味があるので、当時大国であった魏から見たら日本は小国であり、見下して「卑」という文字を使ったとも考えられる。
確かに中国の文献なんだから中国語読みしないとダメだよな
一字違いの卑弥弓呼はどう解釈するんですか?巫女が弓でも持ってるんでしょうかね、バトルヒロイン?
面白い考察動画時間的に紹介難しいかもしれないが魏史の原文や訳文が気になるところです
嘘かほんとかわからないけど、卑弥呼を「姫巫女(役職)」と当時の日本人が呼んでたのを、当時の中国人がヒミコって間違えて認識して、ワザと卑弥呼(卑しい出自の者と呼ぶ)って漢字をあてたって説を聞いたことあるけど...
名前でいろいろなことを推測できるとは、実に面白いですね。ここのコメントを読んでいると、なぜか五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」とトンデモ本の解説が頭に浮かびました。五島氏は真面目に考察しているのに、否定派から見ると話しにならない。でも五島氏の「ノストラダムスの大予言」はトンデモ本とは比較にならないベストセラー。売れたから正しいとは思いません。娯楽としてどちらが楽しめるかだと思います。邪馬台国は、現在では知的ゲームのような娯楽としてアプローチするのも良いかと思います。そのアイデアの延長で新たな説や他の歴史の考察に活かされるかもしれない。取り返しがつきにくい案件では慎重を期すため懐疑的な思考は必要ですが、懐疑は自由な発想を阻害するので、ケースバイケースで強弱を調整した方が良さそうに思います。
ひ、を日や火と読むのはちらほらみられましたが、、、面白い
あと、卑弥呼の名前ネタで言うと『ひみこ』と『ひむか=日向』の関係とかも疑えそうですよね。当時の日本人の発音は現代日本語とは違いますし、それを中国側が正確に音写してるのかもあやしい。現代方言っぽい発音で『ひみこ』と考えてみるだけで、『あれ?ホントは何だったんだ?』と結構疑えますよね。『へむご』とか、『へめか』とか…
4:58 主張している本人の名前も負の要素入ってて草
姫巫女っていうのもよく言われてますよね
全く、論理的考察に適した頭脳をお持ちの動画主だと感服している。私も同意見である。自分では巧く纏められなかったが、何から何まで辻褄が合う説明をありがとう。
卑弥呼が役職名ならいよはなんでいよって名前が出てくるんですか?
卑弥呼ってマツコデラックスみたいなもので男として、古事記とか日本書紀で登場してるんじゃね。
卑弥呼が魏が着けたあだ名だとしたら、台与(とよ)は魏が漢字的にどういった意味を持って着けたあだ名なのか、教えて欲しいです
台帳を与える書記官かお筆先する人になると思うナンテね(笑)
あだ名ではなく、卑弥呼は親書に書かれた正式な名。実は役名かも尊称かもしれませんが、とにかく外交上の正式名。台与は出身地由来なのか単純な一般名詞から採った名なのかもしれませんが、これも外交上の正式名です。なぜなら倭人伝に「台与は掖邪拘(人名)らを遣使の張政につけて派遣してきた」とありますから。史書でこう書かれている以上、単純な綽名ではありえません。豊国(トヨクニ。現在の大分県)では女神信仰というか、邪馬台国が想像されている巫女信仰の痕跡が相当残っていまして、宇佐神宮の祖神になっていたり、佐賀関に女性を葬った豪華な古墳があったり、宇佐で神武天皇が厚遇されたり、あるいは景行天皇が豊国の土着の巫女勢力を討伐したり、平安時代かららしいのですが神功皇后が祀られたりなどなど・・・鬼子母神信仰も結構篤いところであります。邪馬台国がヤマトの遠祖というのなら、トヨもリンクされている可能性があるのです。
男の王の政治期間を比喩したのが天岩戸伝承だったらと思うと得も言われぬ好奇心で震えます。
おお!!
それは、、、ピッタリですね!! 、、、考えたことなかった、、、!!
しからば 手力男が岩をどけてでてきたのは 卑弥呼の跡継ぎ トヨ ということに?!
やはり神話は弥生時代だったのか
当時はヒメヒコ制をとっていたから、巫女である女性を恭しくしていた王の姿を見て
日本の統治制度や言葉がよくわからなかった魏の使者が、女性の側が王だと思ったのかも知れないよ
岩戸の前で踊っていたのは
再度降臨されたまえの儀式、ってことでしょうか
なるほど
卑弥呼がひどい当て字という見解が出ていますが、倭国もそうですし、邪馬台国もそうですから、
魏からみれば見下すのが普通であったと思われます。あとで当て字のひどさに気が付いたので日本を
名乗るようになったのは自然ですから ひどい当て字はむしろ貴説の正しさを補強しているように
思います。
中華思想のせいかシナは他の国を酷い当て字をしがちですね
モンゴルが蒙古という当て字に怒っていて、日本で蒙古(ボケッとしてて古いという意味になる)という当て字を使わないでくれと申し入れたことがあります。だから、今はモンゴル国については蒙古と言わずにモンゴルと書くようになってます。
朝鮮も貢物がしょぼいって意味になるって聞いたけど、本当なのかなぁ?
魏の時代から他国を見下す癖があるってのは、ある意味今でも受け継いでそうで
大陸だから他国と領土問題で、気を緩ませると攻め入られるって事もあるだろうけど
だからと言って、相手に敬意を示さないで小馬鹿にするってのは小物感が漂ってますね。
日本はいろいろな文化を吸収したとは言え、悪いところはバッサリと切り捨ててる所が
本当に良かった。
ただ農耕や稲作は治水技術がそれ程発展してないから、日本が教わったってよりは
日本が伝えた説の方がしっくり来ると思うし、水が豊富でないと向いてない作物だよね。
だから米だけが主食ではなく、小麦料理も沢山あるんだろうねぇ
逆に日本ではあまり麦が流行らなかったのは、水分が多すぎる土壌や気候のせいかな??
@@sたもつ 私見ですが稲作は水田を使うので連作障害が出にくい作物で収穫量も多いので麦より多く作られたのではないですかね、欧州だと緯度が高いし水が貴重なので麦やジャガイモが主食になったのかと思います
南蛮も中国語ですねー
南の蛮族
よその国と認識してる場所は基本的に卑下して書く文化のようです
昔、中国の学者が「当時の読み方では卑弥呼は”ヒミカ”と読んでいたと日本の学者に言ったが、相手にしてもらえなかった」と言っていたという話を聞いたことがあるな
‘ヒ’は朝日のことを指し、‘ミカ’は「向」つまり‘ムカウ’だと思います。日と向で日向(宮崎)になります。九州から水平線に朝日が昇るのが見える所と言えば、宮崎です。‘ヒミカ’が訛ると‘ヒムカ’。更に訛ると‘ヒウカ’とか‘ヒュウガ’となり、現代発音です。‘ヒミカ’の訛りが‘ヒミコ’であるのは、偶然でしょうか?私には判りませんが…。
ところで最近、気が付いたのですが、‘イザナギ’と‘イザナミ’から‘イザ’を取れば、‘ナギ(凪)’と‘ナミ(波)’になります。そう、現代日本語です。これは偶然ではないような気がします。
@@tangeribun3371
なんでイザ取ったの?
私は専門家ではありませんが、単なる思いつきや言葉遊びから始めてもいいと思います。音韻論(言葉の訛りの研究)は言語学の重要な分野であり、それで得られたアイデアを専門研究の方が、更に発展させていただければ、幸いです。
@@ジャパンファースト さん、ご教示ありがとうございます。参考にさせていただきます。
卑弥呼が日巫女であるためには、古代日本語で発音した日巫女の音と古代中国語での卑弥呼の読み方が一致していなければなりませんが、少なくともその音は現在の読みである「ひみこ」ではなかったはず。
呼は絶対にコとは読みません。ヲです。
その通りです。しかも音の発音は、地方や時代によってもバラバラですからね。
当時の中国語ならピミカですね😊
「卑弥呼」の当て字が酷いから実際には「姫巫女」「日巫女」「火巫女」辺りで当時の日本では呼ばれていたのかな?とは思っていましたね
魏志倭人伝に「卑弥呼は大きな墓(古墳?)に埋葬された」みたいな記述もあったと思うので、個人的には皇室の女性で巫女を兼任していた説を推したいです
合同墓地だったのかも?
箸墓古墳が卑弥呼の墓って言われてるんだよね。
そのころの中国って海外の名前なんでも酷くつけてたよ
@@asdfasdf5776 直径100歩余りの大きな墳墓で、殉葬した奴婢が100名余りと書いてあるので、合同墓地ではないでしょう。
すごく面白かったです。
他の動画はちょいちょい見ていたのですが、やはり興味深いものばかりです。
他の動画を見て、次の投稿を待ってます‼️
歴史に登場する女性って、名前じゃないこと(清少納言、紫式部など)あるから、「ひみこ」が役職名って可能性ありますね。
ですよね! ご推察の通り、卑弥呼は日の巫女(役職名)と考えるほうが自然ですな
日巫女 天皇の皇女(斎王)
卑弥呼が天皇家とか大和のひとならなんで記紀に出てこないんだろう?神功天皇に当てはめることはできないだろうし、普通に九州の人なのでは
でもそれだと邪馬台国(ヤマト)が説明つかないね
@@kanata9726 さんへ ひとつの意見としては、ありますね
トヨは妹とは書かれていないと思いますが。
記紀では一族の女性を巫女と指名していることが書かれています。
自分も卑弥呼は日巫女というのは昔から思っていた。
この動画で自分のぼやーっとした考えをズバっと解説したくれたのは本当にうれしい。
古代だと「ヒメ(ヒミ)」は女性首長を指して「コ」は高貴な人物に付ける尊称だから
女王様みたいな意味で特定の人物名では無いんだよね
感謝感謝です。同様の考えを50年前から持っていましたが学術的に全て理解でき腑に落ちました。卑弥呼・日巫女と同様の古代宗教形態が現在の沖縄県に残されています。戦争や殺し合いで最高権力者を選ばずに話し合いで最高権力者を決める制度は辺境地の未開の制度だとしても、魏志倭人伝の著者にはある種の希望も存在したと推測できます。未来においても人類の平和を構築できるシステムで日本が世界に誇れる歴史だと思います。
卑弥呼が日の巫女と言う仮説はとても興味深いですね。伊勢神宮の斎王などがそれに当たるものでしょうか。年代考証が正しければ、邪馬台国が九州か機内かで神武東征の内容が変わってくる気がします。とても面白い内容でした。
『卑弥呼』だの『邪馬台国』だの『卑』や『邪』と魏の人間は余程日本を見下したかったんだろうな
邪魔大王国、死ねぇ!という声が脳内に聞こえてきました。鋼鉄ジーグ🤣
日本の中でだって熊襲とか蝦夷とか地方人を見下してるやん。
@@AA-jj1bc まぁどこのヒトもマウント取りたがるのは世の倣いかと
@@やしろかいと
実際当時のちうごくもヤマト朝廷も周辺民族と比べれば彼らを蛮族と見下すくらいには進んでたからな。差別なんて概念の無い時代、現代の俺たちがアマゾンの未開部族を見るくらいのものだったのだろうし、責める気にはなれない。
古代中国語の発音だと「卑弥呼」=「ひめか」、「邪馬台」=「やまだ(と)」が近いらしい。
中国のある権威によると、魏では「ピエミエハー」と発音されていたそうな。
筑豊では烏尾峠にあったと言う話があります。その側に山田市が在ります。昔の天皇で良いのかな?落延び、隠れ里に山田~赤村~行橋~北九州と落ち延びそこが部落になったと言う話があります。だから九州の部落には古い名字の人が多いそうです。タンカー事故で壇ノ浦の海流は何処に流れているか判りますよね?奈良~京都自然に繋がりますよ!
@@諌山満伸 烏尾峠といえば、山田市(現嘉麻市)の北の田川から京都(みゃこ)郡へ入るルートにも繋がっていますね。古代から筑州と豊州を繋ぐ九州北部の最重要ルートにあり、京都郡はかつて景行天皇親征の際行宮(臨時宮殿)が置かれ豊前国府も置かれ、近代においても筑豊産石炭の輸送が行われたとか。邪馬台国がどこにあったかは論じませんが、当時から有名なポイントであったと言えないことはないでしょう。
宮崎神宮から遣わされた「ひむか」様って可能性もありますね。これだと神武天皇が先という事になりますが
@@golpie はい、自分は子供の時天皇政権争いで負けた物が今の赤村や他の部落をつくり北九州から日本海を渡り福井から奈良へ流れて行った。ってオヤジが医師で部落などでも関係無く往診してたので地の爺ちゃん婆ちゃんに聞かされた事が未だに残ってます。自分達は古くから名字を持ってることを言ってましたね?意味はわかりませんでしたが(笑)
卑弥呼が日の巫女だというのは高田崇史さん井沢元彦さん含めてけっこう普通に散見されますけどね
勉強になりました、、次の動画も楽しみに待ってますね👍👍
とても面白い考察だけれど今の発音を基軸に考えてるのが引っかかる
今の日本語も当時の日本語とは違うし、漢字の音読みだって当時の中国語の発音をそのまま残してはいない訳だからそこを単純に比較したら誤った結論が出てしまいそう
全く同意できる素晴らしい解釈だ。
全国的に卑弥呼神社がどこにも無いことから「卑弥呼」はいなかったと考える学者もいる。
「邪馬臺国・邪馬台国」も「やまとこく」とも読める。
ヒミコ→イヨの代替りが天岩戸の部分ではと考えています。
天照大神がお隠れになる(ヒミコが亡くなる)→みんなで大騒ぎ(次代をめぐり戦乱が起こる)→天照大神が出てくる(イヨがヒミコになる)
同じことは何度もあったのでしょうから、ピンポイントにここを指しているかはわからないですが
同感です。伊勢神宮の御祭神はアマテラスとトヨウケである事からも、お説の信憑性は高いと思います。
素晴らしい考察と思います。一番納得できました。この流れですと、邪馬台国も大和国が正しそうですね。
卑弥呼という名前ではなく「ヒミ(ヒメ)と呼ばれた」という説を聞いてなるほどと思ったけど、この動画見たら日巫女の方が納得できる笑
邪馬台国の卑弥呼についてのお話!!
通説とは全然違う感じになってます!
いやいや、様々な皆さんのご意見、聞いているだけで楽しいですな、なかなか(これが正解)とはならない分野ですが、だからこそ想像力が掻き立てられて楽しいですな
@@まるじゅんいち なな!
へぇ!卑弥呼さんの職業は実際は巫女業だったのですね!其れは初耳ですよねぇ・・・。
まあでも、部族の管理も行える能力も備わっていたのは事実無根でしょうけど、まさか天照大御神の守護神とは未だに信じ難いのですよね!そして占いも職業の一つで、政治運営もまさか有り得ないと思いますが、全て占術的に指揮していたのも充分に考えられますね!今回は此れ1本で二度美味しい勉強をさせて戴きました!適宜参考にさせて戴きたいと思います!
卑弥呼の名前の字については自分も
以前から疑問に感じていましたが
成る程って思いました
おそらくは匈奴なんかと同じ感覚
なんでしょうね
それに呪術や祈祷で国を統べるってのも
黄巾の乱をおこした張角とかを連想
させたかもしれないですね。
上代日本語や古代の江南地域の発音で、「日」と「火」は違う音だったという研究書を読んだ記憶があります。
その研究によると卑弥呼の「卑」「ひ」の発音は、当時の「火」の方にあたるとのことでした。
その研究に従った上で卑弥呼を役職として捉えるならば火の巫女と考えた方が自然かもしれません。
だからといって、日と火も語原的に全くの別という訳でもないようで、火の巫女を経て日の巫女になっていったとも考えられます。
面白いです!
ただちょっと思ったんですが
日巫女(ひみこ)の説って「日本の音読みが古代中国語の発音を正統に受け継いでる」っていう前提にあると思うんですよね。
例えば習近平(日音読み:しゅうきんぺい)って向こうでは”しーじんぴん”って呼ばれてますよね。こんな感じで卑弥呼の古代中国語発音はもしかしたらもっと違うのかもしれませんね。
卑弥呼は現在の中国語発音だとピンミンフーって感じ。
"フー"のフはフルシチョフとかの発音と同じで、kの音が混じってる、khuって感じの発音。
古代中国語は知らない。
ーーーーーーー
日本のはひふへほって、昔はパピプペポと発音していた時期があるらしい。
で、日本の中での発音の変化って同じだと思うの。つまり、ピ→ヒの変化はヒミコだろうが日の巫女だろうが等しく訪れるはず。
そして、現在の中国語発音で卑はピンだけど、昔の日本語のピって発音を聞き取って卑としたはず。弥と呼も同様。
音が似てるし日巫女という解釈は遠く外れてはない気がする。
どうかね?
興味深い内容で次回も楽しみです
卑弥呼が何人も居た可能性もあるなら・・・
彼処は他の部族とかは蔑んだ文字を充てるのがデフォ。穢族とかね
ヒミコはいっぱいいたからね。阿蘇の辺りには火巫女がいた。纏向の辺りには日巫女がいた。ヤマト王権では王子を皇子(みこ)で王女を妃皇子(ひみこ)って呼んでたよ。
ヤマト王権なんぞと言う出鱈目な用語を使う奴を信用できないな(^o^)
@@栄健 ヤマト王権って言葉は元竹田宮の子孫の竹田恒泰氏使ってつ言葉ですがね。
ふむふむ😀そうなのかって興味惹かれて✨楽しく視聴させていただいてます
トヨ(イヨ)も日本史にはいませんが、国名では残っています。なので人物名ではなく出身国の姫という認識を自分は持っています。「卑弥呼」も出身国の名称ではないでしょうか。卑弥呼は日向の国の姫なのだと考えます。
豊後水道を挟んでトヨの国とイヨの国があるな
@@Hayato_Takezawa 殿
ホントですね
トヨの国→大分
イヨの国→愛媛
なんか繋がりが有るのでしょうかね?
そして トヨの国の前と後 豊前と豊後
別府湾に有ったと言われる瓜生島も何か関係してくるかも知れませんね
トヨの国 大分~北九州市
ツクシの国 福岡市~県南部
ヒの国 佐賀長崎~熊本
ヒムカの国 宮崎
(薩摩・大隅がいつ頃からそう呼ばれたのかは知らん)
九州本島の昔の呼び名がツクシの島だったことから中心地は博多の辺りという認識がされていたのか?
ちなみに四国本島の呼び名はイヨノフタナなため、中心地は愛媛県当たりだったと考える
豊鍬入姫命とか、女性にトヨの言葉が入るのは珍しくないから
ヒミコの方はヒメミコが訛ったものだが、トヨは本名から来ているのではないかとの説が有力だ
それに古代では本名(普段から用いられていた名前という意味で)を呼ぶのは貴人や死者避ける事が多かったからな
本名は伝わらない事が多かったようだ
三世紀四世紀にこのような風習があったかどうか、よくわからないが。とにかく一概に本名でトヨとかイヨとかいなかったとは言えないのではないかとも思うが
@@Hayato_Takezawa
古代史で筑紫七カ国は筑前・筑後・豊前・豊後・肥前・肥後に日向国とされておりましたね❗️ 卑弥呼は歴史家陳寿による日向の当字と思量致します🙏
よく知らんけど日本語における巫女(みこ)って読み方は古代より後で成立したイメージ。あと卑弥呼(ひみこ)って読み方、漢音と訓音がごっちゃだよね。
大和国の姫御子を卑弥呼って当て字にしてると思うんよな
明治天皇の玄孫の竹田さんもその説ですね。
となりますとミコという言葉が謎になります。なぜならこの人物が巫女ならば、態々ヒメ(女)という接頭語をつけて称される理由がわからなくなるからです。
ミコの語源を単純に若い貴人の尊称とするならば、ヒミコの弟王が何とかミコと呼ばれていないのは不思議になります。倭人伝が省略しただけかもしれませんが。
もしここから話を進めていくならば、ミコの語源は神気を現し神意を示す巫という神職の一般名、あるいは祭祀の有資格者名だった可能性が出てきて、ヒミコとは女の神職を意味する言葉、という論になるでしょうか・・・では古に(権威ある)男の神職はいなかったのでしょうか? 伝統的感覚からするとこの説は破綻している感がありますね。
太陽の巫女でヒミコ…という呼び名を当て字にして卑弥呼…ゲームのやりすぎか。というかよくよく考えると邪馬台国もそうだが漢字の意味が悪辣過ぎないかなと感じる。【よこしま】だとか【いやしい】だとか……
そもそもその時代に漢字が日本にあって、自らその漢字で名乗ったのか?だとしたらどんな意味を込めて…
卑弥呼の卑は卑しいから来るそして弥呼は鬼道の巫女では?
@@田中しんじ-h9c オリジナルは「俾彌呼」。俾は傅(かしず)くという意味の字で、単純に「妖しげな呪術使いの婢(はしため)」という意味ではありません。倭の字も似たような意味で、別記しましたが、ニンベンがついてるだけ(話のわかる奴らという意味で)マシな待遇かと。
支那が蛮夷の国や民族に対してつけるのは、だいたい現地語の当て字で、あからさまに悪字を使うことは多くありません。なにしろ外交単語ですから下手なことは言えません。従属国に対しては猶更です。こういう配慮を「礼儀」というのです。尤も彼らは絶賛抗争中の相手なら礼儀の箍を外して、悪意満々で字体を組み立て記し痛罵の限りを尽くす癖がありますけどもw。
なお待遇(外交関係)から字体を変えられた例には琉求国がありまして、朝貢するようになった14世紀、王ヘンをつけられ「琉球」とされたとのこと。
平身低頭、臣従するものに(外面上は)悪く扱わず、人一倍太っ腹なところをみせる大人(ターレン)文化が昔からちゃんと反映されているのです。
卑弥呼に絞ると分かりやすいと言うか面白いんですが。
台与(壱与)は個人名ですかね?肩書ですかね?
日の巫女という台(役職)を与えられた人…ではないかと考察してます。
なるほどですねー😮
弥生以前に神武東征が行われ、天照大御神への信仰が始まったと考えていましたが、この解説の方がしっくり来ました。ありがとうございます。
卑弥呼様の事勉強になりました。
ひみこが役職名…かなりスッキリする
小学生の頃、初めて卑弥呼と聞いたとき、音的にふっつーに「ひのみこ」だと思ってたのでなんかうれしい。
この当て字への違和感。。
けっこう同じことを考えて人っているのでは??
面白い説ですなあ。興味わいてきちゃったぞ。
納得できる深い考察です。シリーズが楽しみです。
成る程、いつの時代もアマテラスと日巫女(卑弥呼)がいた。というのは、可能性としてかなりあると思われます。
とても深い知識と考察で、他の動画も楽しみに拝見させてもらっています。
卑弥呼と魏志倭人伝📖に表記されている〜独立した王女👑のように思われる😅
「ひみこ」という音はあくまで現代まで残った当て字を現代日本語読みしたものであるので、本当になんて呼ばれていたのかは当て字を考えた魏の役人と同じ古代中国語の読みをしなければわかりませんね。ただし卑弥呼が巫女説というのには同意します。これは諸説ありますが、「ビミファ」がそれに相当するんじゃないかと言われており、当時の倭語と近しいとされる古代朝鮮語に当てはめてみると「ビ」が「日」「光」「蛇」などを表し、「ミファ」が「神」そのものを表す言葉であり、その名前が「太陽の(蛇)神」(おそらくは天照大神)そのものを指し示している可能性が高く、その代弁者をしていた巫女の言葉を「神さまのお言葉だ」とするのは仰る通り大いに有り得ることだからですね。これは推測だけどむしろこの「ミファ」が転じて「巫女」へとなって行ったんじゃないかな。「姫尊」変形説は今の日本語に音が寄りすぎてると思う
今でも伊勢神宮の斎王は天皇の娘ですね。
そして伊勢神宮の内宮には天照大神が、外宮には豊受大神が。
外宮には先代を引継いだ豊(台与)さんが天照大神の世話役として祀られている。
あくまでも斎王は斎王であり祀り役、政(まつりごと)は大王、今でもまったく変わってない。
斎王は南北朝時代に途絶えています。
伊勢神宮祭主と混同しているのでしょうね。現在の祭主は、上皇陛下のご息女である黒田清子さんです。
三国時代の前の前の王朝、新の王莽ならば相手国に「卑」という字を平気で使っただろうな。彼は「高句麗」を「下句麗」に呼び変えるような人だったから。
聖徳太子が倭を和に変えたって話、仮にガセだったとしてもなんか好き。
そっから言うと
聖徳太子の瞳が「青(緑の意味)かった」という伝説好き。
@@みよし三吉
地球は青かったも聖徳太子でしたっけ
@@TT-iu7bu 千何百年誤差ですね...
魏志倭人伝にある「一支」は壱岐、「末蘆」は松浦ですから。卑弥呼当て字説は確証高いでしょうね。
魏志倭人伝は中国で懸かれたものだから卑弥呼が当て字だとしたら日本語読みとなる「ひみこ」じゃなくて中国語読みしなきゃならないんじゃないか。
現代中国の発音は昔と違う。当時の発音な日本の訓読みにだけ残ってるって説もありますよー。
納得出来る話しでした。
井沢元彦さんのコメントは参考にされていますか?
全くしてないですね
面白かった。ヒミコが単なる役職名であって彼女自身は王でもなんでもないという考え方は目からウロコです。井沢さんは本名は隠されていたから日の巫女と呼ばれていたと考えて、女王であることは疑っていなかったし私もそう思ってました。
もし台与(とよ)が本名なら、なぜ卑弥呼は日巫女っていう役職名なんだろう?
台与も役職名なら、何の役職なんだろうか。
そうだわ従って卑弥呼は実名の女王の名前😂役職名巫女さんではない〜
旧出雲王家の口伝によると、姫巫女(ひめみこ)のこと。魏志倭人伝に書かれてあるヒミコについては、宇佐王家の姫巫女とあります。
>旧出雲王家の口伝
それはどこで読めるのですか?
前漢から後漢期の中国人は
「 バハデゥル」と聴いて→「冒頓」の文字をあて、
「チュン・チャック」と聴いて→「微側」の文字を当てる民族で、
これらは日本語の発音では「ぼくとつ」「びそく」となるが、
中国語での発音はそれとも異なる。
さて、「卑弥呼」は本当に「ヒミコ」だろうか?
そういえばですが、邪馬台国(やまたいこく)なのに台与(とよ)なのが不思議でした。
中国での”台”の漢字が違うとのことで、ヤマタイコクで正しいとなっているようですが、ヤマト国の日巫女と考えるのが確かにしっくりくる気がします。
日本書紀の神功皇后のくだりで魏志倭人伝が引用されていて卑弥呼の名が出ています。日本書紀を編纂した人は神功皇后と卑弥呼が関係あると考えていたのではないでしょうか。
「卑」は単に音を移したにすぎず、古代中国人が異民族にきれいな字を使いたくなかっただけでしょう。日本や日本人を意味する「ワ」を古代中国人が「倭」(にんべんがついているだけまし)と書いたのと同じでしょう。当時の日本人が漢字を使えたら最初から「和」にしていたと思います。
魏志倭人伝で転写された古代日本語は現代語でも結構類推が効きます。ヒナモリは「鄙(ひな)」を守るという意味の職名でしょうね。卑弥呼は「姫巫女」(ひめみこ)の意味だという話もよく聞きますね。
天照大神を卑弥呼に比定するのは安本美典などが提唱しています。
魏志倭人伝に卑弥呼は夫せいなしと書かれているので神功皇后ではない。中国の歴史書にかかれて無視できない日本書記記述者は天武天皇の系統ではないので苦心?
魏の国での卑弥呼の呼び方を考えないと。
それから古代日本語の読み方も。
それによると、
魏では
ピィー・ミィー・クォァー
古代日本語では
ピィー・ミィー・ホー
だそうです。
日巫女と充てず、卑弥呼したことが正しかったであろう発音だと言うことです。
日巫女が魏の言葉でどう発したか分かりません。
ですが、卑しいと言う字を充てたことは朝貢する中国以外の国に対して充てる文字としては、当時の中国の考え方に合致していて、ちょうどよかったものと考えられる。
卑弥呼が当字なのは当然なのですが、当時は卑の字は単に格下の意味合いでそれ程悪い意味は無かったようで、卑を表音とする字で俾脾鵯があるように表音によく使われた字だったと思います。
天照大神は、元は男性神アマテルだったとも言われてます。実際にそれで祀られている神社もあります。
おそらく日向や伊予は卑弥呼と壱与と関係があるのでしょうが、巫女という言葉自体も卑弥呼から来ている可能性もありますね。
「卑弥呼」だけでなく、なぜ「大和」を「ヤマト」と読むのか?「飛鳥」を「アスカ」と読むのか?
調べると、なかなか興味深いことがたくさん出てきますね。。
日ペンの美子ちゃん、略してヒミコちゃん
(昭和世代限定ネタ)
伊勢神宮では八咫鏡が御神体で昔は天皇の娘が日の巫女として住んでいて毎日祈りを捧げてた。
神武東征は西暦150年よりも前ですよ。神武一行が浪速津に船で上陸し、そのまま船で河内湾を東に生駒山地の麓まで進むことができるのはこの頃まで。それ以降は淡水化して河内湖となり、外洋を走る船では入っていくことができなくなる。淡水化した時期が分かるのは、今の十三あたりの貝の化石の種類がその頃に海水性のものと淡水性のものが入れ替わるから。
とてもわかり易く解説していただき、ありがとうございます。
卑弥呼は、女王ではなく巫女であった。こう考えると、確かにいろいろな事が納得出来ます。
卑弥弓呼に関しても触れてほしかった。卑弥呼=日巫女説において、自分はここでつまづいてる。単に女王国と狗奴国の言葉の訛りの差が当て字になってるだけでどちらも同じもの、という理屈しか現状思い浮かばないでいるところだったので
和訳した場合、女王はヒメミコだけど狗奴国は男王だからヒコミコなんじゃないですか?
今ある倭人伝は卑弥呼の時代より900年も後に写された写本だから、卑弓弥呼を卑弥弓呼と誤写した可能性あり。臺を壹だと誤写したように。
不思議なんですが、台与を「とよ」と読むのに、なぜ邪馬台国を「やまとこく」と読まないのだろう。。。
卑弥呼が倭の統治者ではなかったとしたら
倭の使者が魏でその存在を統治者よりも強調する理由がない
貴人男性に使われる彦は日子であり、女性の姫は日女が元になっているそうですからもしかすると卑弥呼は日御子、日神子で男性だった可能性もありますね
『後漢書』や『三国史紀』に女王卑弥呼と書かれているので否定的
卑弥呼が日巫女という考え方は理解できるのですが、女王でないなら死んだ後大きな墓を作り殉死を100人も・・・つじつまが合わないような気がします。
個人的に結構納得できる考察だと思いました
名前という概念が現代と違うと思っていて
今は名前=アイデンティティ、個人そのもの、だけど
古代はどこの人、どこの家系、役職、みたいな、履歴書的な扱いだったのかなと思います
その名残が現代の苗字ではないでしょうか
で。本当の名前は別にあるのではないのか、という仮説を考えています
本当の名は呪いをかけたりするときに使うなど、知られると危険なものらしいので
中国の字などは呪術対策の側面もあったのかな、と
日本古代の認識は中国と共通のものも多く、
ということは卑弥呼、イワレビノミコトなどは履歴書的な、説明を兼ねての呼び名で
名前は別、もしくは現代の名前に相当する概念自体がない、
ということも含めあり得るかな、と思っています
トヨも富与など、安定して農業生産豊かになるようにしたなどの
説明でそう呼んだ可能性も考えています
トヨが女性につけられるケースがあるのは子孫繁栄の意味、
卑弥呼継承者にあやかって、、、など
しかし、女性がトップに立って治めた国というのは何とも
めずらしいというか、ロマンを感じますねぇ
邪馬台国がなんでやまたいこくなんでしょうか。魏志倭人伝での字で日本読みだったらヤマト国じゃないか?こんな簡単なことなんでだれも言わないのか?
ジャマな大国
(笑)
①そもそも魏志倭人伝には邪馬台国という国は出てこない。②「台」という漢字は音読みでは「ト」とは読まない。「ダイ」。
原文には台と言う漢字でない。誰が台として意訳したんだという話です。
@@Y爺 原文は「臺」ですね。読みは「ダイ」または」「タイ」ですので「ヤマト」にはなりません。
すみません。原文は「壱」です。改定原文が「臺」です
卑弥呼→姫巫女だと思ってました。確かに、日巫女の方がしっくりきます。
卑弥呼=日巫女だとして、敵対する熊襲の男王・卑弥弓呼(ひみここ)はどう説明するの? 男ですよ。
とにかく考察がおもしろい
卑弥呼が日巫女で代替りで所在地が巫女事代わってたら邪馬台国は本当に場所バラバラだね
卑弥呼よりも先に登場する帥升も気になる
面白かったです。
ヒミコに卑を当てはめられたのは、巫女が当時どうやってお告げを得ていたかであり、
それが使者から見て卑しい行為だったから、とか(割と真面目)
なるほど、面白!!✨
『上官の命令は天皇の命令である』というのと同じだな。責任はすべて天皇にあるということにして、自分には責任はないという言い訳にも利用できる。当時はヒミコは『ピミコ』と発音していたらしい。
「卑弥呼の名前の意味は、いやしいいやしいと呼ぶこと」だと歴史の先生が言っていました、なぜ卑しい?と不思議に思っていました。当て字ならより自然にかんじますね。
まず、魏志倭人伝にしか出ないのならなんで卑弥呼は(ひみこ)と日本語読みなのかがよくわからんw
魏志倭人伝に書いてあったという事は魏読みをしないとおかしいと思うよ。そもそも日本人が書いたものじゃなくて魏人が書いたものだからね。
今の中国読みなら(ぴめは)つまり単に「姫」と言った後に望郷のため息でもついたら、それを意味が合うように漢字を当てたとも考えられると思うけど。
当時の魏(曹家の国)で「卑弥呼」ってどう読んだのかは知りたいね。
日巫女・日御子・姫皇女論者のそもそものツッコミどころそこよな
単純に現在の中国語的発音だとしてペィミィフゥだからな
魏側から見て、卑弥呼は黄巾の乱の張角を彷彿させて、嫌悪感が出たのかもなぁ。
シンプルに姫巫女なんじゃ・・そもそも東夷の国なんだし卑を入れても不思議じゃない
ものすごく納得のいく説。
天気の記述は残っても、天気予報は歴史に残らない、みたいな
火の鳥では卑弥呼のことを「ひめみこ様〜」と民衆が敬っているシーンがありますね。
鏡の使い方ですが、保有枚数が多い方が権威があり地位が高かったとされています。複数の鏡で太陽光を反射させ一定の場所に投射したらどうなるでしょうか。太陽が再現される様に見えるはずです。下手をすると枚数によっては発火するかもしれません。太陽光を支配して再現できると言うパワーが大きな信仰の源泉だったのではないでしょうか。だから鏡が三種の神器の一つであるのでは。自らを写すものではなく太陽を反射する道具だったと言う可能性はないでしょうか。
卑弥呼ってピメコになるよね当時の読み方にすると藤原はプンティパラになるし、面白いw
プンティパラ道長
芸人にいそう(((
「卑弥呼」を「ひみこ」と発音しているのは今の日本語での話であって、古代中国では「ぴみか」と発音していたと言われたりしているが、それならばどう解釈するのだろう。
なお、「卑」は地位が低いという意味があるので、当時大国であった魏から見たら日本は小国であり、見下して「卑」という文字を使ったとも考えられる。
確かに中国の文献なんだから中国語読みしないとダメだよな
一字違いの卑弥弓呼はどう解釈するんですか?巫女が弓でも持ってるんでしょうかね、バトルヒロイン?
面白い考察
動画時間的に紹介難しいかもしれないが魏史の原文や訳文が気になるところです
嘘かほんとかわからないけど、卑弥呼を「姫巫女(役職)」と当時の日本人が呼んでたのを、当時の中国人がヒミコって間違えて認識して、ワザと卑弥呼(卑しい出自の者と呼ぶ)って漢字をあてたって説を聞いたことあるけど...
名前でいろいろなことを推測できるとは、実に面白いですね。
ここのコメントを読んでいると、なぜか五島勉氏の「ノストラダムスの大予言」とトンデモ本の解説が頭に浮かびました。五島氏は真面目に考察しているのに、否定派から見ると話しにならない。でも五島氏の「ノストラダムスの大予言」はトンデモ本とは比較にならないベストセラー。売れたから正しいとは思いません。娯楽としてどちらが楽しめるかだと思います。
邪馬台国は、現在では知的ゲームのような娯楽としてアプローチするのも良いかと思います。そのアイデアの延長で新たな説や他の歴史の考察に活かされるかもしれない。
取り返しがつきにくい案件では慎重を期すため懐疑的な思考は必要ですが、懐疑は自由な発想を阻害するので、ケースバイケースで強弱を調整した方が良さそうに思います。
ひ、を日や火と読むのはちらほらみられましたが、、、面白い
あと、卑弥呼の名前ネタで言うと『ひみこ』と『ひむか=日向』の関係とかも疑えそうですよね。
当時の日本人の発音は現代日本語とは違いますし、それを中国側が正確に音写してるのかもあやしい。
現代方言っぽい発音で『ひみこ』と考えてみるだけで、『あれ?ホントは何だったんだ?』と結構疑えますよね。
『へむご』とか、『へめか』とか…
4:58 主張している本人の名前も負の要素入ってて草
姫巫女っていうのもよく言われてますよね
全く、論理的考察に適した頭脳をお持ちの動画主だと感服している。
私も同意見である。自分では巧く纏められなかったが、何から何まで辻褄が合う説明をありがとう。
卑弥呼が役職名ならいよはなんでいよって名前が出てくるんですか?
卑弥呼ってマツコデラックスみたいなもので男として、古事記とか日本書紀で登場してるんじゃね。
卑弥呼が魏が着けたあだ名だとしたら、台与(とよ)は魏が漢字的にどういった意味を持って着けたあだ名なのか、教えて欲しいです
台帳を与える
書記官かお筆先する人
になると思う
ナンテね(笑)
あだ名ではなく、卑弥呼は親書に書かれた正式な名。実は役名かも尊称かもしれませんが、とにかく外交上の正式名。台与は出身地由来なのか単純な一般名詞から採った名なのかもしれませんが、これも外交上の正式名です。なぜなら倭人伝に「台与は掖邪拘(人名)らを遣使の張政につけて派遣してきた」とありますから。史書でこう書かれている以上、単純な綽名ではありえません。
豊国(トヨクニ。現在の大分県)では女神信仰というか、邪馬台国が想像されている巫女信仰の痕跡が相当残っていまして、宇佐神宮の祖神になっていたり、佐賀関に女性を葬った豪華な古墳があったり、宇佐で神武天皇が厚遇されたり、あるいは景行天皇が豊国の土着の巫女勢力を討伐したり、平安時代かららしいのですが神功皇后が祀られたりなどなど・・・鬼子母神信仰も結構篤いところであります。邪馬台国がヤマトの遠祖というのなら、トヨもリンクされている可能性があるのです。